2018-07-08

部屋の物を減らす。棚から本やらCDやらが溢れて足の踏み場もない状態。最近はベッド周辺でしか生活しなかったせいでもある。物を手放すのが下手くそなくせに衝動買いをしがちなので、放っておくとすぐ物がたまる。それはそれで豊かなことなのかもしれないが、棚から溢れたものたちはいつも同じ場所に数ミリ違わず置かれたままだ。今この場においておく必要があるのだろうか?

 

そんなわけでCDや本を半分くらい実家に送った。本当に減らす気があるのならもっと思い切って処分するのだろうが、全体の半分くらい、しかも実家に送るという形で止まったのは、持ち前の貧乏性が発揮されたからだ。思い切りが足りない。こんなことではまたすぐに棚から溢れてしまう。

 

近所のブックオフに行くと、そのラインナップが大きく変わっていることがある。今まで見なかった本が大量に。その光景を見て、自分が持ち合わせていない、強い決断力のようなものを感じる。目の前に並んでいる本の元持ち主たちは、どういった理由で、どのような思いで本を手放したのだろうか。大方は自分が想像しているよりもずっと軽い気持ちで売ったのだろうが。

2018-04-15

自意識過剰な拗らせ人間は読んでいる本を他人に見られることになんとも言えない恥ずかしさを感じてしまう。別に誰も自分が何の本を読んでいるかなんて気にしてなんかいないのに。

 

そんなわけで本屋で本を購入するときはブックカバーをつけてもらうよう頼んでいる。これらの本は読了後にブックカバーを外され、部屋の本棚、あるいは本箱に収納される。外されたブックカバーはというと、捨てられることなくまた別の箱に収納される。通販などで同じサイズの本を購入した時にまた利用するかもしれない。その時にために取っておいてある。

 

新書を一冊読み終えた。いつものようにブックカバーを外し、本を本棚に収めた。外したブックカバーをしまうために収納用の箱を開けると大量のブックカバーが入っていた。読書の跡が思わぬ形で残っていた。この習慣がついてから意外と本を読んでいたことに気付かされた。「毎回ブックカバーをつけてもらうのも物が増えるだけだし、ちゃんとしたブックカバーでも買うべきか」と考えていたが、箱の中身を見てちょっとだけ嬉しくなったのでこの習慣はもう少し続けることにする。

2018-04-01

Netflix で『あいのり:Asian Journey』と『TERRACE HOUSE BOYS & GIRLS IN THE CITY』を観るだけの日々が三日続いた。今までは斜に構えてこの手の恋愛バラエティは観てこなかったが、実際に見てみると案外面白い。「男性/女性ならこうあるべき」みたいな古臭いジェンダー観は少々厳しいものではあった。どちらも基本的に脚本のあるドラマとして視聴しているけれど、世の中の若い男女ってあんな感じに憧れやら共感を抱いたりしているものなのか?鬱屈とした日々を過ごしている人間にはよくわからない。ともかく、なんとなく視聴したものが思いの外面白かったので、日常にノイズを取り入れる意味でも興味関心の薄いものにも一度触れてみることは重要なのかもしれない。

 

とはいえ、恋愛バラエティばかり見ていると元の生活に戻れなくなる気がしてきた。バランス感覚を取り戻すために『ブラック・ミラー』のS1E1を視聴した。気分が落ち込んだのでさっさと寝る。

2018-02-17

今年ももう1年の8分の1が過ぎた。1年の分母に8を持ってくるとなかなか感覚が掴みにくい。

 

なんとなく電車に乗りたい気分だったので乗って本屋まで。Kindleで読めない本はまだまだ多い。電子書籍化されていない本の中から気になっていたものを2冊選びレジへと向かう。途中、文庫本のコーナーに立ち寄ると、フラナリー・オコナーの短編集が並んでいた。文学に疎い私は、漫画家の豊田徹也による読切(ネーム)でフラナリー・オコナーを知った。以前調べた時は絶版になっていたのだが、最近になって発刊されたらしい。別にAmazonでも買うことはできたが、この日文庫本のコーナーに立ち寄らなければ、復刊されたことに気づくことないまま売り切れてしまっていたのかもしれない。本屋のセレンディピティをしみじみと感じながらその2冊も手に取って会計を済ませた。

 

家に帰ると、本棚には新しい本を収めるためのスペースがないことに気づいた。本を読み終わる前に次々と購入してしまうため、気づけば未読の山が出来上がっている。あれ?以前も同じようなことを…

 

 

フラナリー・オコナー全短篇〈上〉 (ちくま文庫)

フラナリー・オコナー全短篇〈上〉 (ちくま文庫)

 
フラナリー・オコナー全短篇〈下〉 (ちくま文庫)

フラナリー・オコナー全短篇〈下〉 (ちくま文庫)